最終更新日:2025年12月04日

昭和のタクシーと聞くと、黒塗りセダンの自動ドアや白い手袋の運転手を思い浮かべる方も多いでしょう。当時のタクシーは現在とは車両の種類や装備、料金制度、サービス面など様々な点で異なっていました。
昭和45年(1970年)には全国のタクシー車両数が約21万8千両、年間輸送人員は約42.9億人とピークを迎えました(※1)。本記事では昭和時代のタクシーの特徴を振り返り、運輸統計データや法制度の変遷を交えながら、現在との違いをわかりやすく解説します。
タクシー業界で働くことを検討されている方や、昭和の文化に興味をお持ちの方にとって、当時と今のタクシーがどう変化してきたかを知ることは大変興味深いものです。懐かしい思い出とともに、タクシー業界の歴史を辿ってみましょう。
昭和時代のタクシーは、現在とは大きく異なる車両と装備で運行されていました。当時の代表的な車両や装備について、詳しく見ていきましょう。
昭和30年代から40年代にかけて、タクシー車両として多く使われていたのは、トヨタ・クラウンや日産・セドリック、プリンス・グロリアなどの国産中型セダンでした(※2)。これらの車両は、広い室内空間と耐久性の高さから、タクシー事業者に好まれていました。
特にトヨタ・クラウンは「タクシー専用車」として開発されたモデルもあり、昭和期を通じてタクシー業界の主力車両として活躍しました。黒塗りの車体に白いドアミラー、屋根の上の行灯(あんどん)型の表示灯が、昭和のタクシーの象徴的なスタイルでした。
昭和50年代に入ると、燃費の良い小型車も導入されるようになり、日産・クルーやマツダ・ファミリアなどの小型セダンもタクシーとして使われるようになりました。しかし、依然として中型セダンが主流であり続けました。
昭和40年代後半から、タクシーの自動ドアが急速に普及しました(※2)。それまでは乗客が自分でドアを開け閉めするのが一般的でしたが、日本独自のおもてなし文化として、運転手が操作できる自動ドア装置が標準装備されるようになりました。
この自動ドアは、雨の日に乗客が濡れずに乗降できる、荷物を持っていても乗りやすいなど、利便性の高さから好評を博しました。海外では珍しいこの装備は、現在でも日本のタクシーの特徴として知られています。
昭和時代のタクシーメーターは、機械式の回転式メーターが主流でした(※3)。距離と時間の両方を計測し、運賃を自動的に計算する仕組みは現在と同じですが、デジタル表示ではなくアナログ式の針が動く方式でした。
車内には、現在のようなカーナビゲーションシステムはなく、運転手は紙の地図を頼りに道を探していました。無線機は昭和30年代後半から導入され始め、配車や緊急時の連絡に使われるようになりましたが、初期の無線機は大型で操作も複雑でした。
また、昭和期のタクシーには、現在のような防犯カメラやドライブレコーダーは装備されておらず、防犯面では運転手の注意力に頼る部分が大きかったのです。
【参考URL】 ※1 出典:国土交通省「自動車輸送統計調査」 https://www.mlit.go.jp/k-toukei/search/cate/03_04_00_00.html ※2 出典:一般社団法人全国ハイヤー・タクシー連合会「タクシーの歴史」 https://www.taxi-japan.or.jp/ ※3 出典:国土交通省「タクシーメーター装置の技術基準」 https://www.mlit.go.jp/
戦後の混乱期を経て昭和20年代後半には公定料金としてタクシー運賃が設定されました(※4)。初乗り距離と初乗り料金、および加算料金(一定距離・時間当たりの追加料金)の制度は昭和期を通じて基本的に現在と同じ仕組みです。
戦後間もない時期には初乗り料金100円で距離制運賃が始まり、その後物価上昇に伴い段階的に値上げされました(※5)。
昭和40年代から50年代にかけて運賃の度重なる改定が行われています(※4)。昭和45年(1970年)には初乗り運賃は130円、昭和47年(1972年)には170円に値上げされ、オイルショック期の昭和49年(1974年)には280円まで値上がりし、昭和50年(1975年)には330円になりました。
地域差はあるものの、昭和期後半には初乗り運賃が大幅に上昇しました。これは石油危機による燃料費の高騰や、人件費の上昇が主な要因でした。
昭和58年(1983年)には一部地域(福岡市など)で初乗り430円になるなど、地域による差が見られました(※4)。大都市圏では運賃が高めに設定される一方、地方都市では比較的低めの運賃設定となっていました。
昭和50年代には、深夜・早朝時間帯(概ね午後10時から翌朝5時)に2割増の深夜割増料金が導入されました(※4)。これは夜間の労働に対する対価として設定されたもので、現在も継続されている制度です。
また、一定距離以上の遠距離利用については割引制度が設けられる地域もありましたが、これは地域や事業者によって異なっていました。
昭和時代のタクシー料金メーターは、走行距離と走行時間の両方を計測して運賃を算出する仕組みでした(※3)。渋滞などで速度が一定以下になると、時間制の加算に切り替わる仕組みは、現在のメーターと基本的に同じです。
ただし、昭和期のメーターは機械式であったため、故障やトラブルが発生しやすく、定期的な点検と調整が必要でした。
【参考URL】 ※4 出典:国土交通省「タクシー運賃制度の変遷」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000002.html ※5 出典:総務省統計局「消費者物価指数」 https://www.stat.go.jp/data/cpi/
昭和時代のタクシー運転手には、現在とは異なる独特の接客マナーと働き方の文化がありました。
昭和時代のタクシー運転手の多くは、白い手袋を着用していました(※2)。これは清潔感とフォーマルさを表現するためのもので、特に個人タクシーや高級タクシーでは必須のアイテムでした。
制服も現在より格式高いものが多く、帽子を着用する運転手も少なくありませんでした。夏は白いシャツに黒いネクタイ、冬は黒い上着というスタイルが一般的でした。
昭和時代のタクシー運転手は、乗客に対して非常に丁寧な言葉遣いをすることが求められていました(※6)。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」といった挨拶はもちろん、行き先を聞く際も「どちらまでお越しでしょうか」といった丁寧な表現が使われました。
乗客が乗り降りする際には、必ず車から降りてお辞儀をする運転手も多く見られました。特に高級タクシーや個人タクシーでは、この習慣が徹底されていました。
カーナビゲーションシステムがなかった昭和時代、タクシー運転手は地理に精通していることが必須でした(※7)。主要な建物や目印となる場所を頭に入れ、紙の地図を見ながら最短ルートを見つける技術が求められました。
また、乗客との会話も重要なサービスの一つと考えられており、天気の話や時事問題について話をする運転手も多くいました。ただし、乗客が静かにしていたい様子であれば、無理に話しかけないという配慮もありました。
昭和時代のタクシー運転手の多くは、歩合制の給与体系で働いていました(※8)。売上の一定割合が給与となるため、より多くの乗客を乗せるために長時間労働が常態化していました。
1日12時間以上の勤務も珍しくなく、昼夜連続で働く「通し勤務」と呼ばれる働き方も一般的でした。休憩時間も十分に取れないことが多く、運転手の健康管理が課題となっていました。
昭和時代のタクシーは、街中を走りながら乗客を探す「流し営業」が主流でした(※6)。人通りの多い繁華街や駅周辺を巡回し、手を挙げている人を見つけて停車するスタイルです。
昭和40年代以降、無線配車システムが普及し始めましたが、初期の無線機は大型で操作も複雑だったため、流し営業が依然として主要な営業方法でした。タクシー乗り場での待機も行われていましたが、現在ほど体系的には整備されていませんでした。
【参考URL】 ※6 出典:国土交通省「タクシー事業の現状」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000001.html ※7 出典:国土交通省「タクシー乗務員の資格要件」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000007.html ※8 出典:厚生労働省「賃金構造基本統計調査」 https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
昭和期のタクシー産業は高度経済成長とともに拡大し、タクシーの保有台数・利用者数は大きく増加しました(※1)。昭和30年(1955年)時点で約4万7千両だった全国のタクシー車両数は、昭和45年(1970年)には約21万8千両と約4.7倍に増えました。
同じく年間輸送人員も、昭和30年の約5.6億人から昭和45年には約42.9億人と飛躍的に伸び、1970年前後にピークを迎えました(※1)。
1970年代以降はマイカー普及や公共交通網の発達により、タクシー需要はやや縮小傾向となりました(※9)。昭和50年(1975年)には年間輸送人員が約32.2億人とピーク時より減少し、その後昭和60年(1985年)まで概ね30億人台で推移しました。
タクシー車両数は昭和50年代には約25万両前後で横ばいとなり、供給過剰を防ぐ調整が行われていたことがうかがえます(※1)。
大都市圏、特に東京・大阪・名古屋などでは、タクシーの利用が活発でした(※1)。一方、地方都市や農村部では、マイカーの普及が早く進んだため、タクシーの需要は大都市圏ほど高くありませんでした。
昭和期を通じて、タクシーは都市部の重要な交通手段として位置づけられており、特に夜間や終電後の帰宅手段として重宝されました。
昭和時代には、大手タクシー会社から個人タクシーまで、多様な事業者が存在していました(※10)。個人タクシーは昭和34年(1959年)に制度化され、優良な運転手が独立して営業できる道が開かれました。
個人タクシーの台数は昭和40年代から50年代にかけて増加し、タクシー業界全体の多様性を高める役割を果たしました。
【参考URL】 ※9 出典:総務省統計局「家計調査」 https://www.stat.go.jp/data/kakei/ ※10 出典:国土交通省「個人タクシー制度について」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000012.html
昭和時代のタクシー業界は、様々な法律や規制によって管理されていました。これらの法制度は、利用者の安全と公正な競争を確保するために設けられました。
タクシー事業を規制する主な法律は、昭和26年(1951年)に施行された道路運送法です(※11)。この法律により、タクシー事業を営むには国(現在の国土交通省)の許可が必要となり、運賃や運行地域、車両の基準などが定められました。
道路運送法は、タクシー事業の健全な発展と利用者保護を目的としており、無許可営業の禁止や安全基準の設定などが盛り込まれました。
昭和時代、タクシー運賃は国の認可制でした(※4)。各地域のタクシー事業者が運賃改定を申請すると、運輸省(現在の国土交通省)が審査し、適正と認められれば認可される仕組みでした。
この制度により、地域ごとに統一された運賃が設定され、事業者間の過度な価格競争が防がれました。利用者にとっても、どのタクシーに乗っても同じ料金という安心感がありました。
昭和34年(1959年)には、タクシー運転手の資格制度が整備されました(※7)。一定の運転経験と地理試験に合格することが求められ、運転手の質の向上が図られました。
特に大都市圏では、地理試験が厳しく、主要な道路や建物、最短ルートなどについての知識が問われました。この制度により、タクシー運転手の専門性が高まりました。
昭和34年(1959年)、個人タクシー制度が創設されました(※10)。それまでタクシー会社に雇用されていた優良な運転手が、一定の条件を満たせば独立して営業できるようになりました。
個人タクシーの許可を得るには、10年以上の無事故・無違反の運転経歴や地理試験の合格などが必要で、非常に狭き門でした。しかし、独立できた運転手は高い収入を得られる可能性があり、多くの運転手の目標となりました。
昭和40年代から50年代にかけて、タクシーの台数が急増し、供給過剰が問題となりました(※11)。これに対応するため、運輸省は新規参入や増車を制限する供給調整を行いました。
この規制により、タクシー台数は一定の範囲に抑えられ、既存事業者の経営安定が図られました。しかし、この規制は平成14年(2002年)のタクシー規制緩和まで続きました。
【参考URL】 ※11 出典:国土交通省「道路運送法について」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000013.html
昭和時代のタクシーと現代のタクシーを比較すると、技術の進歩とサービスの変化が顕著に見られます。
現代のタクシーは、ハイブリッド車や電気自動車など、環境に配慮した車両が増えています(※12)。燃費の向上により、運行コストが削減され、環境負荷も軽減されています。
カーナビゲーションシステムは標準装備となり、運転手は最適なルートを素早く見つけられるようになりました。また、ドライブレコーダーや防犯カメラの設置により、安全性と防犯性が大幅に向上しています。
スマートフォンアプリを使った配車サービスが普及し、利用者は自分の位置情報を送信するだけで簡単にタクシーを呼べるようになりました(※12)。『GO』などの配車アプリは、待ち時間の短縮や事前の料金確認を可能にし、利用者の利便性を大きく向上させています。
昭和時代の流し営業や電話配車と比べると、配車の効率性と正確性は飛躍的に高まっています。
現代のタクシーでは、クレジットカードや電子マネー、QRコード決済など、多様な支払い方法が利用できます(※12)。現金のみだった昭和時代と比べ、キャッシュレス化が進んでいます。
また、一部の地域では定額制タクシーや相乗りタクシーなど、新しい料金システムも導入されています。
現代のタクシー運転手は、労働基準法の適用が徹底され、労働時間の管理や休憩時間の確保が義務付けられています(※13)。昭和時代の長時間労働と比べると、労働環境は大きく改善されています。
また、女性運転手の増加や、多様な働き方の選択肢が広がっており、タクシー業界の人材確保にも変化が見られます。
現代のタクシーには、最新の安全装備が搭載されています(※12)。衝突被害軽減ブレーキや車線逸脱警報システムなど、先進安全技術により事故のリスクが低減されています。
また、運転手の健康管理も重視されており、定期的な健康診断やアルコールチェックが義務付けられています。
【参考URL】 ※12 出典:国土交通省「タクシー事業の現状」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000001.html ※13 出典:厚生労働省「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/gyosyu/
タクシー業界は、技術革新と社会の変化に対応しながら、新しい時代へと進んでいます。
自動運転技術の発展により、将来的には無人タクシーの実用化が期待されています(※14)。すでに一部の地域では、自動運転タクシーの実証実験が行われており、技術的な課題の解決が進められています。
自動運転タクシーが実用化されれば、人手不足の解消や運行コストの削減が期待できますが、安全性の確保や法整備など、克服すべき課題も多く残されています。
MaaS(Mobility as a Service)の概念が広がる中、タクシーは公共交通機関や他の移動手段と連携し、総合的な移動サービスの一部として位置づけられるようになっています(※15)。
スマートフォンアプリで電車やバス、タクシーを一括で予約・決済できるシステムが開発されており、利用者の利便性がさらに向上することが期待されています。
日本の高齢化が進む中、タクシーは高齢者の移動手段として重要性を増しています(※16)。介護タクシーや福祉タクシーなど、特別なニーズに対応したサービスが拡充されています。
また、高齢者が安心して利用できるよう、運転手の接遇研修や車両のバリアフリー化が進められています。
脱炭素社会の実現に向けて、タクシー業界でも電気自動車や燃料電池車の導入が進められています(※12)。環境負荷の低減は、社会的な責任として重要性を増しており、今後さらに加速すると予想されます。
タクシー業界では、運転手の高齢化と人手不足が深刻な課題となっています(※17)。若い世代にとって魅力的な職場環境を整備し、優秀な人材を確保することが業界全体の課題です。
働き方改革や賃金体系の見直し、キャリアパスの明確化など、様々な取り組みが進められています。
【参考URL】 ※14 出典:国土交通省「自動運転の実現に向けた取組」 https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk2_000019.html ※15 出典:国土交通省「MaaS関連データ」 https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/transport/sosei_transport_tk_000067.html ※16 出典:内閣府「高齢社会白書」 https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/ ※17 出典:総務省統計局「労働力調査」 https://www.stat.go.jp/data/roudou/
昭和時代のタクシーは、黒塗りのセダンに自動ドア、白い手袋の運転手という象徴的なスタイルで、多くの人々の移動を支えてきました。高度経済成長期にはタクシーの台数と利用者数が急増し、昭和45年(1970年)には年間輸送人員が約42.9億人とピークに達しました。
料金制度は公定運賃で管理され、初乗り料金は物価上昇とともに段階的に値上げされました。運転手の丁寧な接客マナーや長時間労働、流し営業が主流だった営業スタイルなど、現代とは異なる独特の文化がありました。
昭和時代から現代にかけて、タクシー業界は大きく変化してきました。カーナビゲーションシステムの普及、配車アプリの登場、キャッシュレス決済の導入、環境対応車両の増加など、技術革新がサービスの質を向上させています。
また、労働環境の改善や安全対策の強化により、運転手と利用者の双方にとってより良い環境が整えられてきました。今後は自動運転技術やMaaSとの連携、高齢化社会への対応など、新たな課題に取り組みながら、タクシー業界はさらなる発展を目指しています。
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